年  度 事            項
嘉応 2年(1170〜) 藤原秀衡鎮守府将軍となる
文治 1年(1185〜) 鎮守府将軍藤原秀衡公家臣奉行・照井太郎高春、南照井堰(現在の大江堰)・北照井堰(現在の照井堰)を計画し開墾、工事半ばにし秀衡と共に没す。
承元 2年(1208〜) 照井太郎高春の子高泰が荻荘荘司と相諮り私費を投じ、高春の意志を引継ぎ照井堰・大江堰を完成させた。
寛永20年(1643〜) 伊達藩による延長25.2473qにも及ぶ大改修
寛永20年(1643〜) 照井堰大洪水に見舞われ流出
慶安1〜5年(1648〜1652) 慶安大干魃
承応 元年(1652〜) 大肝入掃部左衛門が大干魃対策として藩主に税免を嘆願。農民と共に照井堰の大改修に着手
寛文 元年(1661〜) 高舘御百姓霜月田屋敷柏原清左衛門が私費を投じて大穴山(現在の猿鼻隧道)を開削
寛文13 年(1673〜) 大肝入照井掃部右衛門伊達藩に無許可で山根堰を開削する
天和 元年(1681.7.23) 大肝煎掃部左衛門、照井堰の大改修が思いのほか難工事に遭い、藩より御蔵米の返石を執拗に責められ夫妻とも太田川渕高舘の地で処刑される。また家族追放・財産没収となる。
宝暦13 年(1763) 大肝入大槻久右衛門が照井堰の起源についての文書を残す
安政 元年(1854) 磐井川揚堰定盤据付絵図面写が作成される(当時の大〆切頭首工の位置が描かれている)
文久3年
(1863〜)
柏原清左衛門孫の柏原新十郎と千葉半右衛門の両名が私費を投じ北照井堰を改修
明治17年
(1886〜)
旧藩体制の崩壊後、郡役所に西・東磐井郡水利土工会が設立され堰の管理にあたる。
明治24年     (1893〜) 施設の老朽と河床の変化により大〆切頭首工上流側へ新設
明治27年(1894.1.27) 水利組合条例公布により照井堰普通水利組合設立・同大江堰普通水利組合が設立され堰の管理にあたる。
明治41年(1910.10.1) 水利組合法施行により照井堰普通水利組合、大江堰普通水利組合設置。管理者中里村長、萩荘村長
大正10年頃 大〆切頭首工堰堤コンクリート被覆舗装行う(当初は石枠堰)
昭和11年(.5.6) 舞草耕地整理組合設立される
昭和17〜19年() 県営事業にて大〆切頭首工改修
昭和22.23年(1947.1948) アイオン・カザリン台風来襲大災害を被る(大〆切頭首工流失等)
昭和24〜26年(1949〜1951) 県営災害復旧事業にて復旧
昭和26〜30年(1951〜1955) 県営照井堰地区大規模かんがい排水事業が行われる
昭和26年(1951.8.22) 大江堰普通水利組合が農地改革後、土地改良法公布により大江堰土地改良区に改組
昭和27年(1952.2.18) 照井堰普通水利組合が農地改革後、土地改良法公布により照井堰土地改良区に改組
昭和27年(1952.2.28) 舞草耕地整理組合が農地改革後、土地改良法公布により舞草土地改良区に改組
昭和29年(1954.10.8) 舞草西部土地改良区設立
昭和30〜34年
(1955〜1959)
中里地区区画整理事業が行われる
昭和33年(1958.2.7) 平泉土地改良区設立
昭和35〜41年(1960〜1966) 県営大江堰用水改良事業が行われる
昭和47年(1972.4.20) 舞草土地改良区と舞川土地改良区合併し、舞草土地改良区となる
昭和52〜62年(1977〜1987) 県営磐井川地区かんがい排水事業が実施される
昭和54年(1979.7.27) 舞草土地改良区と舞草西部土地改良区合併し、舞川土地改良区となる
昭和58〜62年(1983〜1987) 県営水質障害対策事業を導入し、農業用水の健全化図る
昭和60年
(1985.3.1)
照井堰土地改良区と大江堰土地改良区が合併し照井大江土地改良区となる
平成8年(1996.11.1) 照井大江土地改良区・平泉土地改良区・舞川土地改良区が合併し、照井土地改良区となる
平成8〜15年   (1996〜2003) 県営担い手育成基盤整備事業一関第3地区が実施される。
平成18年
(2006.2.22)
照井堰が疎水百選認定となる
平成20年〜22年(2008). 農水省の補助事業で小水力発電調査開始
平成22年(2010..4) 照井発電所稼働し売電売電する
平成24年
(2012.10.1)
一関第1地区ほ場整備記建立
平成27年
(2015.7.31)
荻野発電所稼働し売電開始する
照井堰の歴史
平成27年 
(2015.12.18 )
束稲・照井土地改良区が合併し新照井土地改良区となる
平成28年
(2016.11.9)
照井堰が世界かんがい施設遺産登録となる