伝統900年〜照井堰〜
 
照井土地改良区の概要 


 照井土地改良区の歴史は古く今から大凡900〜850年前の奥州藤原時代まで遡る。当時、干魃や飢饉で苦しみ悩まされ続けた村々の窮地を救うために立ち上がったのが、鎮守府軍藤原秀衡公の家臣で普請奉行であった照井太郎高春である。その高春の企画により、五串の滝(天然記念物指定)より3qほどさかのぼった当時の五串村、猪岡村の磐井川両岸に穴堰を開削したのである。これが照井堰の起源である。
 その後照井太郎高春は志半ばにして藤原氏滅亡と共に没したが、その下流の水路を高春の子孫高安が荻荘荘司と相諮り私費を投じ、高春の意志を引継ぎ完成させ、村々にかんがいさせたと伝えられている。農民たちは長い年月の夢であった用水に歓喜し、照井氏の偉業を称えその姓を付け照井堰と称しのである。
 それ以降もこの地方を治めていた葛西氏や伊達藩による幾度の改修、照井の子孫大肝入掃部左衛門の大改修、柏原清左衛門による北照井堰の開削、清左衛門の孫柏原新十郎と千葉半右衛門の北照井堰の改修などの大改修がなされてきた。
 そして明治維新廃藩置県後照井堰の管理は県に属し、明治41年からは照井堰普通水利組合が管理し、昭和27年からは照井堰土地改良区。更に昭和60年からは大江堰土地改良区と合併して照井大江土地改良区、平成8年からは舞川土地改良区と平泉土地改良区と合併して照井土地改良区となり平成27年12月に照井土地改良区と束稲土地改良区となりました。照井太郎高春の意志を継承し、この地域の米作りに大切な「水」を守り続けています。